誰か故郷を想わざる でフレイル予防(回想法+音楽療法)スタッフガイド
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この曲は、ふるさとを遠く離れ、友と遊んだ野山や、嫁ぐ姉を見送った寂しさなどを回想する思いを、流麗なメロディーに乗せて歌った曲です。霧島昇さんは晩年に至るまで懐メロ番組などでよく歌っていらっしゃいました。 タイトルは「故郷を想わない人はいない」という意味の反語ですが、当初、コロンビアレコードこの曲はヒットしないと判断して、慰問用レコードとしてすべて戦地に送ったそうです。ところが戦地で望郷の想いやみがたい兵士の間で大ヒットし、内地に逆輸入された。慰問に訪れた渡辺はま子がこの歌を歌うと、大将から末端の兵士まで等しく泣き渡辺も思わずもらい泣きして、みんなで涙に暮れたというエピソードもあるようです。
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曲の概要(思い出を呼び起こすヒント)
- 発表:1935年(昭和10年)頃
- 作詞:西條八十
- 作曲:古賀政男
- 歌手:藤山一郎の歌唱で広く知られる
- テーマ:都会に出た若者が、ふるさとや母を想う気持ち
👉 「都会に出て働く」「母の面影」「田舎を懐かしむ」などのキーワードが、参加者の心に響きやすいです。
この曲は、ふるさとを遠く離れ、友と遊んだ野山や、嫁ぐ姉を見送った寂しさなどを回想する思いを、流麗なメロディーに乗せて歌った曲です。西城八十・古賀政男・霧島昇 の代表的なヒット曲となり、霧島昇さんは晩年に至るまで懐メロ番組などでよく歌っていらっしゃいました。 タイトルは「故郷を想わない人はいない」という意味の反語ですが、当初、コロンビアレコードこの曲はヒットしないと判断して、慰問用レコードとしてすべて戦地に送ったそうです。ところが戦地で望郷の想いやみがたい兵士の間で大ヒットし、内地に逆輸入された。慰問に訪れた渡辺はま子がこの歌を歌うと、大将から末端の兵士まで等しく泣き渡辺も思わずもらい泣きして、みんなで涙に暮れたというエピソードもあるようです。
当時(1930年代)の時代背景
社会
- 昭和初期、日本は不況や戦争の影響で厳しい時代。
- 多くの若者が農村から都市へ出稼ぎに行き、家族と離れて生活。
- 都会での労働は厳しく、孤独感を抱えやすかった。
👉 歌の「母が恋しい」「故郷を思う」気持ちは、この社会背景と深く重なります。
文化・流行
- ラジオ放送が普及し始め、歌謡曲が全国に広まった時代。
- 映画館でも藤山一郎らの歌声が流れ、庶民の娯楽として親しまれた。
- 都会のモダン文化(カフェ、洋服、ジャズ)が広がる一方で、農村との生活格差が目立った。
音楽史の中での位置づけ
- 「誰か故郷を想わざる」は 昭和歌謡の名作 のひとつ。
- 古賀メロディと藤山一郎の伸びやかな歌声は、多くの人に「懐かしさ」「郷愁」を呼び起こした。
- 以後の“望郷ソング”や“母もの演歌”の原型にもなっている。
回想法で使うときのポイント
「映画館で歌を聴いた方?」
「都会に出た経験」 を話題にすると会話が広がる
「上京したときの気持ちは?」
「一番懐かしいふるさとの景色は?」
「母」や「家族」 をテーマにすると感情を引き出しやすい
「お母さんの思い出の料理は?」
「母の口癖を覚えていますか?」
時代背景 を提示すると思い出がつながりやすい
「ラジオで歌を聴いていた方?」
そんな年でしたが、ラジオで国民歌謡「隣組」が初めて放送されたのも、1940年(昭和15年)6月17日です。この歌は、NHKの「國民歌謡」で放送され、同年10月にはビクターレコードからレコードが発売されました。